
しくみメンバーの魅力を伝えるインタビューシリーズ。 第9回は、仕事人生ラストスパートとご自身を語る ”utoさん” です。
皆の人生の先輩でありながら、とても謙虚で腰の低いutoさん。普段の様子からも学ぶことが数多くあります。そんなutoさんがこれまでどのようなキャリアを築いてこられたのか、また集大成とも言える今後の仕事人生をどのように歩んでいきたいのか等、語っていただきました。
メンバーがこれまでを振り返る形でご紹介いたします。
ブルース・リーやジャッキー・チェンが流行っていて、カンフーものをよく観ていたせいか、中学時代は器械体操部で床や跳馬、鉄棒等やっていました。当時は大車輪もできていたんですが、今は無理でしょうね。笑。 最初のPCを買ってもらったのもこの頃でした。BASICの全盛期だったのでちょこちょこ触りつつ、独学で進めていました。
もちろん、ゲームや漫画も好きでした。少年ジャンプや少年マガジンはチェックしていましたね。ドラゴンボール、北斗の拳、ジョジョの奇妙な冒険等。ゲームはドラゴンクエストやストリートファイターⅡとか、メジャーどころが多かったですが、その他も友達といろんなものをやっていました。そういえば、私が小学5,6年生の時にファミコンが発売されたんですよ。思い返してみると、それまでゲームって、ゲームセンターか駄菓子屋さんに置いてあるものくらいでしか遊べるところがなかったんですよね。今はすごい時代になりましたよね。
勉強は特別好きという感じではなかったですが、受験戦争もあったので普通にこなしつつ高校は進学校へ。大学は理学部の地球惑星科学科に進みました。
インディ・ジョーンズを観て「考古学者って、かっこいい!」と、単純ですがそんな勉強もいいなと思っていました。ただ、考古学って文学部みたいなんですよね。この地球惑星科学科は、化石や地球周りの科学を扱うということで、近そう!と、あとちょうど新設された科だったということもあり、後押しになりました。

地質調査や化石から宇宙のことまで扱いながら、最終的には地震の研究に行き着きました。在学中に阪神大震災や雲仙普賢岳の噴火が起こり、とても痛ましく感じつつ、勉強を続けていましたね。数値解析での地震の計算がテーマにあったので、地震がどういうメカニズムで起こるのかをプログラムを組んで研究することを卒業論文にしました。あれから時は経ちましたが、今でも地震の予知は難しいままですね。まだまだわからないことも多い分野だけに、これからも注目していきたいです。
就職氷河期でした。周りも皆、就職難で困っていましたね。私も例外ではなかったのですが、情報としてもらっていた会社があって、そこに就職しました。大学時代は固体が主でしたが、今度は流体を扱うことになり、数値解析のソフトウェア開発会社でサポート業務をさせてもらいました。
PC内の冷却効率解析、自動車周りの空力解析、ビル風などの流体解析支援でしょうか。ソフトの使い方はもちろん、一緒に解析して、こういう結果が出るよということを伴走したり、思ったような結果が出ないものを一緒に解決したりしていきました。そして、数年後、数値解析ソフト業界は競争が激しいこともあり、好きだったゲーム業界に転職することにしました。
と言っても、未経験なので受け入れてもらえるかわからず、飛び込んで行ったという表現がぴったりで、経験者の採用が多い中、片っ端から応募していった感じです。
畑違いの奴が来た、と面白がってもらえたことが後押しとなり、雇ってもらえたのが大阪のゲームソフトの受託開発会社でした。最初はプログラマーとして勤務していたのですが、3ヶ月くらい経った頃にディレクターやってみないかと声を掛けられ、その後プロデューサーとなりました。子ども向けのIPゲームを出版社、玩具会社その他ステークホルダーとなる会社と販売展開、海外展開等を行いました。
当時はクロスメディアによる展開もみんなでお金を出し合って、ブランドを育てていこうという考え方だったので、巻き込み方によっては面白い進め方ができたりしたんですよね。商品を拡げていく中で、いろんな会社と話ができることはとてもいい経験となりましたし、純粋にゲームにおける商売の構造を理解できたことは私の念願が叶ったとも言えます。また、百貨店等を周りながらの子供たちとのふれあいもとても楽しいものでしたし、ゲーム業界はやっぱり面白い!ものづくりって素晴らしい!って感じることができました。