
しくみメンバーの魅力を伝えるインタビューシリーズ。 第3回は、怪我がちなパッサー & 3Pシューターの”nodaさん” です。
いつも明るいnodaさんですが、入社当時はスキル面で悩むこともあったのだとか。 悩みながらも歩みを止めなかった、そんな日々を思い出しながらのインタビューとなりました。
メンバーがこれまでの歩みを振り返る形でご紹介いたします。
学生時代を語る上で切り離せないのがバスケットですね。
中学から大学院までずっとやっていました。そういえば、中学にはバスケ部がなかったんですよ。当時の私は経験者ではなかったので、一度バレー部に入ったんですが一ヶ月で辞めちゃって。ちょうどスラムダンクも流行っていましたし(笑)、ミニバスあがりのメンバーと一緒に創部したんです。実績のある名将もいたので頼み込んで顧問になってもらいながら、2年目に県大会でベスト4までいって、今思い返しても調子に乗っていましたねー。

その勢いで、高校は県で一番強いところに進学したんですが、全く歯が立ちませんでした。1年生の時、ベンチ入りすらできなくて自分の実力を思い知ったというか。2年生でようやくベンチ入りしますが、ある日「プチン」という音と共に靭帯を切ってしまいました。手術して、リハビリして、楽しくバスケできるくらいには戻りましたが、ジャンプ力とかはどうしても難しいですね。
そんなこともあり、大学からはサークルでのエンジョイバスケに転向しました。サークルなのに部活よりも強かったのがちょっとした自慢ですね。
プログラミングに出会ったのもこの頃です。全然ハマれませんでした(笑)。C言語だったからビジュアルで見せるのが大変で、感動する人はするんでしょうが、優しくない言語だなーと感じました。ブラウザを作る課題では、めっちゃコーディングして表示されるのはテキストだけとか、今考えるとたいした量ではないんですが、当時はそんな感じで、モチベーションが保てませんでした。Visual Basic とかに出会っていればもう少し違ったとも思います、でも当時はそんな存在は知らなかったので、プログラミングは私にとっては結構苦行だったんです。
研究室に入ってからはJavaを触っていましたが、大学卒業時はがっつりプログラミングしたいと思えず、ゲーム会社等も候補からは外れていました。
システム開発の会社に就職はしましたが、コードは書かずにひたすら顧客との打合せや設計書を書く日々でした。子供が生まれるタイミングで、妻の実家がある岡山に引越すこととなり、人材派遣会社の情報システム部に転職。ここでいろんな経験をさせてもらいました。

社内のあらゆる人と関わるので、良くも悪くもたくさんの情報が飛び込んできます。内線も多く、一日50件くらい捌く日もあったり。同時に愚痴も聞いてきたのでストレスフルだったのは確かです。人も多く、感情が優先する場面も見てきはしましたが、とても勉強になりましたね。